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院長の独り言vol.056-060
院長の独り言その60 <ノーマジーン:2007年2月号>
「看板」
「先生の看板、あっちこっちにありますよね」とよく言われる。結構目立つらしく、似顔絵がそっくりと言われたりするが、可愛すぎ!と言う声もある。7 年前の開業時、看板のデザインには頭を抱えた。似顔絵にしたかったので、デザイナーに数枚描いてもらったが、妙にリアルだったり、喫茶店のマスター風であったり、どうもかっこよすぎでピンと来ない。前年に歯科医院を開業した義兄の時には、妻は必死で考えたのに…、僕のもちょっと考えてよ…と妻にかけ寄った。すると妻は、その辺にあった紙にマジックで、ちゃちゃっと僕の似顔絵を描いた。なぜか設計士もデザイナーも、素人の走り書きを絶賛し、めでたく妻の絵が看板に採用された。7 年たった今、「ちょっと看板の顔は若すぎじゃない?」と妻に聞いてみた「大丈夫よ、髪がなくなったら、もう一回描いてあげるから」とにっこり笑って妻は答えた。
院長の独り言その59 <ノーマジーン:2007年1月号>
「太ったら離婚」
夏に減量を宣言し早くも5ヶ月。目標は半年で10kg減、月に2kg弱と簡単そうに思えた。しかし残り1ヶ月を切った今、やっと6kg減と情けない経過である。夏はビールが美味しく、今は忘年会など体重増のイベントばかり。15kg軽かった15年前の写真を机の前に貼ってはみるがでるのはため息ばかり。結婚当初、妻に「太ったら離婚!」と言ったせいか?妻は太っていない。その事を知った娘が「お母さんもお父さんに、太ったら離婚!て言わんけんやん」と妻を責めている。「太ったら離婚!」と言った後に妻から「どのくらい太ってたら離婚?」と聞かれ「俺より太ったら離婚」と答えた事を娘は知らない。
院長の独り言その58 <ノーマジーン:2006年12月号>
「盲腸」
ある日、右下腹部が部分がシクシクと痛みだした。少し様子を見ていると徐々に痛みが強くなってきた。「盲腸だ!」手術は避けたかったので、婦長に点滴してもらい様子を見る事にした。家族に盲腸らしいと告げると、気の毒なくらい心配してくれた。「手術して死んじゃったらどうしよう!」と妻は不安顔、「盲腸なんかじゃ死なないよ!」と私。「でも昔、お相撲さんが盲腸の手術で死んだやん!パパのお腹は、切っても切っても脂肪がいっぱいで、盲腸になかなか届かないから、大手術になるから危ないやん!」と妻は大まじめ、いやいや関取とは違うでしょう?と私は苦笑い。そんな中、盲腸と思って治療をしてはいるが、本当にそうか?不安になり、昼休みを利用して同級生のクリニックへダッシュ。入念な診察と検査の結果めでたく「虫垂炎(盲腸)」と断定された。現時点では点滴と薬が効いて切らないでいい状態、だが次は手術だと宣告された。何年か後には又痛むのだろうか?その時迄には手術しやすい脂肪の少ない腹回りにしよう!と誓った。
院長の独り言その57 <ノーマジーン:2006年11月号>
「親子」
小4の息子が、運動会の4日前に足の指を骨折した。最初はネンザと思いシップをした、足を引きずり歩く姿に「おおげさな奴!ちゃんと歩きなさい!」と冷たくあしらった。翌朝になっても腫れが引かず痛がるため、整形外科でレントゲンを撮った「折れてますね~」の一言に、連れて行った妻はあんぐり。さらに「運動会は無理ですね~、安静です」と言われ、応援団として練習に頑張った息子は泣き出したらしい。可哀相だが仕方ないので担任の先生に連絡し、応援団とリレーの代役をクラスメートに頼んでもらった。そして当日は雨、翌日に延期となった。診療のため私は見に行けなかった運動会、太鼓の音と音楽に誘われて、ギブスのまま代役の横で一番はりきって応援をし、ダンスにも参加したらしい。一週間後の診察を前に息子は妻とヒソヒソと「先生には運動会は出なかった事にしようか?聞かれたらごまかそうか?」と真剣に相談中である。医師の立場からすると複雑である。
院長の独り言その56 <ノーマジーン:2006年10月号>
小4の息子を長崎離島のキャンプ(2週間)に参加させた。昨年はママに逢いたい!と泣いたらしいが、春に続き三回目だけあって、慣れたものである。春には島の野生鹿の骨を4~5体分持ち帰り、たたりで翌日から高熱を出した。「余計な物を持ち帰るな!」と注意したのだが、今回は半分に割られた太い竹を何本も持ち帰った。息子から「食器に使って」と渡された妻は、ニッコリ笑ってゴミ箱に捨てた。私への土産はビールのお供にと「スルメ」、なぜか娘にはスーパーで買った「糸コンニャク」、妻への土産もスーパーで買った「ピーマン、アスパラ、キュウイに要冷蔵の冷麺」、息子は店のおばちゃんに「野菜は島の名産よ!買って帰ったらお母さん喜ぶよ!」て言われたらしい。「おばちゃんもやるね~」と小さく印刷された福岡県産の文字を眺めつぶやいてしまった。