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院長の独り言

院長の独り言vol.106-110

106

院長の独り言 その106    <ノーマジーン:2010年12月号>

「ニコニコ」

前回の続き
妻と娘と三人、東京での結婚式に出席するため上京した。式前日の早朝に到着し、初めて上京する娘を連れて「アメ横・浅草・渋谷・原宿・表参道」とオノボリサンをしてきた。

従兄弟の次男の結婚式は南青山の有名フレンチシェフのレストランウェディング。フランス料理は絶品で、引き出物の焼菓子は、川島なおみの旦那で有名パティシエ鎧塚氏の物で、田舎者の私達は大はしゃぎだった。娘はハイヒールをはくと175㌢を越え、「モデルみたい」とみんなに言われニンマリ。親子三人で親族に挨拶に行けば、「娘さん二人かと思った」と妻は私の娘に間違われ、娘は「お母さんと私とどっちがお姉さんなんやろう?」と心配顔。私は新郎新婦や列席者を激写して廻り、初対面の新婦親族や友人達から「誰この人?」と怪しい人に認定されていた。

そんな中、新婦の父は最後まで笑顔を見せず、ニコニコ弾けた新郎父と対象的だった。
「おめでたい席だから、新婦の父ももう少し笑ったらいいのにね」と妻に言えば、「お嫁に行くから淋しいんじゃないかなぁ~」と一言。何年先か判らないがふと娘の結婚式を想像してみた。そこには、仏頂面の私に「もう少しにっこりしたら?」とにっこり笑う妻がいた。

院長の独り言 その107    <ノーマジーン:2011年01月号>

「忘年会」

12/1にクリニックの忘年会をした。スタッフの出し物は、ちょいと古いが「オニャンコクラブのセーラー服を脱がさないで!」AKB48は問屋がするし、マイケルジャクソンのスリラーは力不足だし、ピンクレディーにモー娘はすでにやったし、踊りが簡単で衣装の調達が楽で…、でオニャンコクラブ。

セーラー服は婦長の中3の娘とその友人達から、ドーナツを餌に借りまくったらしい。なぜか夏服で、「冬服はなかったの?」と問えば「冬服は現在使用中ですから」との答えに納得。余興の一番手はもちろんスタッフ。
みんなセーラー服で踊りながら、嫁はマイク片手にスタッフの自虐ネタを替え歌で歌った。

次に業者さん達が続き、金色の全身タイツをはいてのお笑い芸、ドンキホーテで仕入れた銀のラメワンピースを着たかなりキモイ矢島美容室、トリは毎年常連の42歳女リーダー率いAKB48。ちなみに、途中でオニャンコだけじゃ物足りなかった婦長と嫁が、学ランを着せた男一人を仲間に入れて、セーラー服で組体操をした。どれもこれも抜群に面白く大満足の私。

豪華?景品が当たるビンゴゲームは、毎年好きな物から取っていい決まりである。早々にビンゴになりながら、遠慮がちに景品を選ぶ業者さん達と対象的に、スタッフは遠慮なく商品券にビール券や高額商品をかっさらって行った。最後は私が何日間も徹夜して作った「さきはま皮ふ科の歩み」なる写真と動画の13分DVDを大スクリーンで上映した。10年間の食事会.慰安旅行.忘年会.年賀状用写真など懐かしい物ばかり。
スタッフの履歴書の写真も初公開した。

余興の衣装のまま二次会はカラオケにGO!、飲めないのに雰囲気で一気飲みして潰れる業者さんまででる乱痴気騒ぎで盛り上がった。翌日参加者は喉と体が痛いと言い、私はあれだけ騒げば当然と思いながら、来年の忘年会のDVDのために皆から写真を集めています。

院長の独り言 その108    <ノーマジーン:2011年02月号>

「Bangladesh」

クリスマス前から大晦日にかけて、大学1年の娘と中2の息子はバングラデシュの医療ボランティアに同行させてもらった。日本という恵まれた環境で育った子供達に発展途上国を見せ、日本に生まれたことを感謝させるためと妻は言う。

「お母さんも一緒に行こう」と息子が誘うが、「お母さんはそんな所に行ったら死ぬし、日本に生まれてめちゃくちゃ感謝してるからいい」とのこと。

バングラデシュ出発時の空港で、息子は妻にハグをして、「お母さん、今まで育ててくれてありがとう」と御礼を言った。「永遠のお別れみたいやね~」と妻が言うと「だって無事に帰って来れる確率は60%くらいやろう?ちゃんと御礼を言っとかないと」と息子。「お前バカか!99.9%無事に帰って来るに決まってるやろ!」と娘。死ぬかも知れないと覚悟していた息子は、99.9%無事の言葉に、ホッとして笑顔で出発した。

空港から帰宅の車内で、「40%の危険性があるなら行かせないよね~」と笑う妻の横、私にはなぜ息子からの御礼の挨拶がなかったのだろうかと少々苦笑い。異郷の空の下で日本人に生まれたことと同様に、父(私の事)への感謝が生まれることを願った。

院長の独り言 その109    <ノーマジーン:2011年03月号>

「11年」

早いもので今年のバレンタインで開院11周年。10代だった某スタッフは30代になり、独身者が既婚者に、既婚者が独身者に・・・、子供達も大きくなり当時3歳だった息子は今年の春から中三です。もうすぐ身長も抜かれます。11年間には色んな事がありました。

そういえば、開院した数日後に大雪が降った。大雪なのにチェーン無しの車で通勤し、滑って危険な上に、歩行者にどんどん抜かるノロノロ運転にイライラ。それ以来「積雪の日はゴルフシューズで徒歩通勤」と決め、今年も1月末の積雪の日、約2.3キロの道のりを約50分かけて歩いた。歩きながらノロノロ運転の車を追い抜くのはなかなか爽快だった。

11年前の雪の日、一日の患者さんは6人。あまりの暇さに、スタッフに掃除でもさせようと思ったが、開院直後で建物も新しく汚れた所もない。「このまま雪が降り続けたら、夜逃げせんといかんね!身投げかな?」と妻と落ち込んだ記憶が蘇る。皆様のおかげで、夜逃げする事なく11年が過ぎ、感謝感謝です。どんどん太くなる首と腹、そしてどんどんやせ細る髪とスネ。
鏡を見ながら、つくづく老化を感じる今日この頃です。「先生、似顔絵看板が若すぎて似てないよ!」とクレームが出ないか、内心ビクビクの私です。

院長の独り言 その110    <ノーマジーン:2011年04月号>

「頑張れ!婦長!」

開院当時から11年間共に頑張ってくれた婦長が退職した。バレーボールで埼玉の高校に進学する娘のために、家族で引っ越しをしたのだ。退職前の2月末にスタッフ全員で二泊三日の慰安旅行に出かけた。キャナルシティに行ったことのない婦長のためにグランドハイアットのスイートに一泊、温泉に行きたいとの婦長の希望で熊本の高級温泉旅館に一泊した。食べて飲んで騒いで、現実離れした優雅な一時は、素敵な思い出を作ってくれた。

可愛くて愛嬌が良くてよく気がきき、患者さんやその家族の名前まですぐに覚える婦長の才能には感心させられた。元気な外見とは反対に、家族揃って体が弱く、早退や欠勤は数知れず、「入院はせめて年一回にして!」とこちらがお願いするほどだった。「引っ越ししたら新しい就職先を見つけなきゃね」、「知らない土地で大丈夫ね?他の先生は俺みたいに優しくないかもしれないかも?!こんなに休んだら普通クビだよ!」ちょっと保護者気分で忠告した。「お金をためて、さきはま皮ふ科の忘年会に参加するのが夢です!」と語る婦長に、「俺が引退するときやろー」と話したら「院長が寝たきりになる前に一緒に舞台に立ちましょう、1200kmうんてんしてきますから・・」

今頃は新天地で頑張って「ガハハ」と笑っているだろう。で、娘の高校卒業後に久留米に戻って来たなら笑えるのだが、まずそれは無いだろう。頑張れ婦長、幸せになる呪いをかけておくから。

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