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院長の独り言

院長の独り言vol.151-155

院長の独り言 その151   <ノーマジーン:2014年9月号>

甥っ子

沖縄在住の甥っ子が我が家に3泊4日で遊びに来た。高校の修学旅行以外沖縄を出た事が無く、初めての一人旅と人見知りの性格が重なり、前日はほとんど眠れなかったようだ。そんな心配をよそに、到着後数時間で我が家に慣れ、すっかりリラックスし、家族の一員になっていた。新幹線はもちろん、電車や地下鉄を知らない昔の自分を思い出した。

西鉄電車で久留米から天神に行き各商業ビルや地下鉄を案内し、ラーメンを食べさせ、電気屋に立ち寄った。雨の中天神から博多へは地下鉄を使い、駅ビルやヨド〇シカメラを冷やかした。バスでキャナルへ行き2人とも服を買いタ〇ーズコーヒーで休憩。そして博多から久留米へはJR、市内三大商業拠点巡りと乗り物のオンパレードだった。福岡の人の多さに驚き(沖縄県民は142万人)豚骨ラーメンもうどん(久留米で食べた)も骨付きカルビも初体験。

沖縄では湯船がなくシャワーだけの家も多く、湯船のあるお風呂の入り方を妻から習い、お湯に浸かり気持ちよかったという甥は、まるで外国人である。

ちょうど水の祭典があり、歩行者天国に連れて行こうと仕事が終わって直帰したら、数日の観光の疲れか、いびきをかいて爆睡していたため、お祭り体験はできなかったのは残念。

雨天順延になった花火大会の日に沖縄に帰ったが、「楽しかった。また来たい」を連発しながら飛行機に乗ったと妻から報告を受け、私もうれしかった。

いつもは仕事が終わって院長室で一休みしたり、そのまま寝てしまい夜中に妻から捜されたことが数回ある私の早い帰宅に、家族は笑っていた。家族の微笑みに「やればできるやん!院長室でぐずぐずしないでさっさと帰宅してよ!」と無言のメッセージを私は感じた。

 

院長の独り言 その152   <ノーマジーン:2014年10月号>

電車と宴会とメタボと

今年の夏、我が家は来客続きだった。月の半分は誰かが居る感じだった。8月の初めは甥(弟の長男)が単身沖縄からやって来た。沖縄を出るのは修学旅行以来で飛行機に乗るのは2回目、空港に迎えに行き初めて我が家にやって来た。「行きたいところがないか」と聞くと「観光に全く興味がない、電車に乗りたい、天神に行きたい」との事。それで雨の日曜日の朝から西鉄電車で天神に行き、地下鉄で博多駅、100円バスでキャナルシティという強行軍で福岡を案内した。少し買い物して初めて食べた豚骨ラーメンはいたく気に入ってくれたらしい。残念な事に筑後川花火大会の当日の朝帰って行ったが来年も是非来たいとの事。次は新幹線か熊本の市電だな。福岡ドームもいいかも。

フランスや岡山から終結した義兄弟や姪のおかげでお盆の我が家の人口は倍以上になった。8/15の私の誕生日も、皆で賑やかに祝ってくれた。みんなでわいわい飲んで食べて騒いで楽しい時間を過ごした。そして私はあっという間に2年前のメタボなオヤジになってしまった。最近ジムもさぼっていたし、通販で買った懸垂機器もいまいちだし、今年も忘年会で半裸体をさらさないといけないかも知れないし・・・。9月の声と共に重たくなってしまったお尻をあげて、ジム通いを再開した。筋トレして走ってヘロヘロになって帰宅する。そんな苦しみを週3回も味わってるのに、体重はさほど減らない。腹囲も減らず「もしかして、私は水を飲んでいても太る体質か?」と不安さえ覚えてくる。食事を制限し毎晩飲んでいたビールを止めてもいっこうに変わらない体形と衰え始めた足腰(クリニックの床で躓きそうになる)にため息をついていた。

8月は天気も良くない日が続いた。そのためゴルフに行く気がせず、ネット通販で趣味の本や撮影機材を買いあさった。秋になったら、また撮影するぞと思いつつ少し暗い毎日が続いた。

そんな中、ユニ〇ロのポロシャツを着てコートを縦横無尽に走るテニスの錦織選手の快挙に勇気づけられた。地味な練習が嫌いな彼も、繰り返し基礎練習することで力をつけてきたらしい。

「あらっ、お腹の脂肪が少し減った?」という我が家のマイケル・チャンコーチの言葉。滅多に褒めない一言でいい気分になった。「俺はこの体に勝つんだ」と自分に言いきかせ、夜のプロテインに我慢しながら地道にジムに通っている。

 

院長の独り言 その153   <ノーマジーン:2014年11月号>

無欲の勝利

雨上がりの爽やかな9月の秋空に誘われて、阿蘇に妻と二人でドライブに行った。ヘリコプターに乗るためだ。この夏、ある先生に見せられた阿蘇の遊覧飛行で撮影した風景が忘れられず、青い空を見ていたら我慢できなくなったのだ。もちろん撮影機材を持って。

阿蘇の中岳は、8月末から火山活動が活発になり、ロープウェイが通行止めだった。山頂に行けないのは残念だった。心配しながら訪ねてみるとヘリコプターは火口よりかなり上を飛ぶので大丈夫との事で2人で7分間の遊覧飛行を申し込んだ。搭乗前は短すぎる遊覧飛行に受付の小父さんに「そんなに短い時間なんですか?」と若干不機嫌に尋ねるとニコニコしながら「きっとご満足いただけますよ、こんなに良い天気ですから」と言われた。

ヘリコプターの定員は操縦士含めて4人。車と一緒で助手席は視界が良く後部座席は横の窓しか見えない。ビデオ2台とカメラを持参し、当然やる気満々の私が助手席で、渋々ビデオ一台を持たされて「うまく取れなくても怒らないでね!」と撮影に自信がない妻が後部席に乗った。

草千里の上空と中岳の火口、いくつもの山々の山頂から手を振る米粒程の見える登山者達。自然の神秘と地球の壮大さを感じながら、飛行は終わった。大満足だった。帰りはいい大人二人ではしゃいでいた。途中外輪山で風力発電の風車が林立する峠にも行き楽しく帰って来た。

帰宅後早速自室にこもり画像チェック。角度を変えたりズームにしたり、工夫を凝らした私の撮影画像は、強い太陽光線によりハレーションを起こしたり、白トビを起こしたりしてイマイチ。逆に若干薄暗い後部座席でただジッと待ってるだけで、時々機内の様子や自分撮りした妻の画像が色もクリアでしかも面白い。

オリンピックで期待された選手が結果を出せず、何の期待もせれてなかった選手が金メダルを取ってしまう。機器に対してパニックになってしまいスタートボタンを押してビデオの持たせた妻の映像はまさに無欲の勝利である。

それでも「そっちのビデオの方が性能がいい」とか「後部座席の方が撮影には向いてるよ」と威厳を保とうとあがいてみたが・・・。

ビデオは何とか3分くらいに編集できてホッとした。

 

院長の独り言 その154   <ノーマジーン:2014年12月号>

同窓会

5年ぶりに熊本で開催された中高の同窓会に一泊で参加した。ちょうど行楽シーズンと学会等の行事が熊本に集中していたようで2か月前では泊まるホテルを押さえるのさえ困難だった。当日は車で出かけたが初めて行くホテルに雨の影響で市内は大渋滞、イライラしながら2時間半かかってホテルに到着。のんびりしたチェックインカウンターに笑顔でキーをもらった。さらに渋滞の中、タクシーで会場に到着、時間ぎりぎりであった。

主賓が渋滞に巻き込まれ開始時間が遅れたけど乾杯で始まった。各テーブルには同級生??見知らぬおっさんばかりが座っていたのだが、各々自己紹介でほとんど学生時代の顔を思い出せた。少し酔い始めた頃から皆の近況?報告。未婚の独身や元既婚者、小学生の孫が居るものなど色々な人生模様があり感慨深かった。

当時本土復帰間もない沖縄から各学年40人以上が集団疎開のごとくフェリーや飛行機で大量に熊本に学びに行っていたのだが今は沖縄県にも国立大学医学部ができ、対応して進学校もでき、我々の時代のように海を越えてやってくるようなこともなくなった結果、我が母校には沖縄出身者がほとんどいなくなっていた。さらに時代の流れで男子校から共学になている。

中高時代の皆の笑えるエピソードや短気で不愛想だった自分の思い出したくない黒歴史もさすがにこれだけ時間が経てばいい思い出になっていた。恩師も含めて男ばかりで飲んで騒いで会場で撮影した集合写真をお土産に帰宅した。集合写真を見た妻から「一体どれが先生?」と聞かれたが、確かに親子ほども年の離れた2人の恩師の方が若く見えている。「みんな同じ年齢?」「同級生の中ではパパはお洒落で若く見えるし格好いいよね~」と家族に言われ嬉しくなった。

お風呂掃除をすれば「パパが一番綺麗に掃除するよね~」と妻に誉められ張り切ってしまうし、どうやら私は誉め言葉に弱いみたいだ。短気で愛想のなかった私も、口の上手い家族の誉め言葉のお陰で、段々と明るく気さくに変化したのだろう。でも楽しい一夜だった。5年後が楽しみである。

 

院長の独り言 その155   <ノーマジーン:20151月号>

YEAR END PARTY 2014

2014の忘年会も無事に終わった。

忘年会は妻が取り仕切っている。今年は受験生の息子がいる為何かと多忙で、妻は睡眠時間を削り、注射と栄養ドリンクに助けられながら準備をしていた。私の代わりに友人たちの踊りを撮影し、参加者全員分のビンゴの景品を揃え、2つのグループの余興に参加し、2種類の衣装を作った。その余波で私主催のゴルフコンペは中止になった。

「もう来年は忘年会やめようか」妻のそんな弱気が言葉に、私もそれも仕方ないかなと思った。「それならば来年やめてもいいように、一度は忘年会を観てみたいと言っていた友人知人も招待しよう」と言い出し、結局例年より2割増しの50人を超える大忘年会となった。大変だから人数を減らすのではなく、大変だからやめても後悔しないように人数を増やす。これは逆転の発想である。

そして当日、無事にホテルでの一次会が終わり、カラオケ三時間の二次会も終わった。参加者は皆大笑いをし、余興の出来ばえに驚き、楽しかったと誉めてくれた。そして「来年までにカラオケを練習しておきます」そんな鬼が笑うような来年の話ばかり飛び出した。「来年は体力が持たないからできないかも」との妻の言葉に「来年は私が何でも手伝いますから」と数人の女性が言ってくれた。逆転の発想は、結局は墓穴を掘る結果になってしまった。

妻はこれで年内の大きな行事は終了だが、私はこれから年賀状作成(家族用とクリニック用)と忘年会のビデオ編集の作業が年末までのお仕事である。

今はカラオケで声がかれて、オカマのような声で引退をほのめかしているが、妻の体に流れる大阪人のお笑いの血(義母は大阪出身)は、きっと来年も騒ぎ出すはずである。

 

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