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院長の独り言vol.111-115

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院長の独り言 その111    <ノーマジーン:2011年05月号>

「下手」

娘のバスケの試合を撮影に行った。高3のインターハイ以来なので、約2年ぶりである。母校の体育館に到着早々、バスケのOBである私の前に、男子バスケ部員達が集合し挨拶をしてくれた。有り難いやら照れくさいやら…。「写真撮らしてもらうよ」と言うのが精一杯だった。

前夜娘から「ママも来てくれると?ママが来るなら私張り切るよ!」と言われ、寒がりの妻も同伴することになった。到着早々「そこの椅子に座って観てていいかな?」と妻から聞かれたが、「それは相手チームのベンチだよ、だからこっちと」と教えて娘のチームのベンチ後方に座らせた。

女子と男子と1試合ずつ観戦撮影し、フリースローは連写したりで、かなりの枚数を撮影した。帰宅後は部屋へ引きこもり、写真の整理をして、娘と妻にテレビ(Apple TV経由です)で写真をお披露目した。

「この写真いい!」「〇〇先輩かわいい!」と喜ぶ娘に妻は同調しながらも、「何かピンボケが多くない?」「ピントが合ってなくない?」とぽつり。そうなんです。私のバスケ撮影の腕は確実に落ちていたのです。「意外に体育館が小さくて、持って行くレンズの選択を間違ったから…」とレンズに責任をなすりつけてみた。苦しまぎれに「やっぱりスポーツ撮影用のレンズがいるかな?」とつぶやいみたが、我が家の女子二人からは、聞こえないふりをされてしまった。私の写真のピントは甘くなり、妻の写真を見る目は辛くなっていた。

院長の独り言 その112    <ノーマジーン:2011年06月号>

「H氏」

H氏の携帯の写真には、飛行機のファーストクラスのベッド(普通にまっすぐのベッド)、エンデバー打ち上げ風景など、実際に目にすることのないものばかり。でも一番目を引いたのはマグロの写真だった。

福島原発事故で放射能漏れを恐れたフランス人達が止める中、義姉が姪を連れて帰国した。何度も登場しているが義姉はスーパーウーマン。フランス語と英語を話す上、想像を越える人脈の持ち主である。カリヤザキショウゴとパリで一緒に仕事したとかミッテラン元大統領のパーティーに呼ばれたとか、各分野の偉~い人達にタメグチをきき、20年以上のフランス生活で、すっかりフランス人になってしまっている。

姉の帰国に際し、「よかったら福岡で会いませんか?」と送ったメールに応えて、ニューヨーク在住の65歳日本人男性が、飛行機のファーストクラスで、急遽帰国、更に羽田からはるばる久留米までやって来てしまった。このH氏が桁違いの人物であった。

テレビやラジオのニュースより早く姉が東日本大震災をメールで知らせた直後、ニューヨークから直ちに帰国。コネを使い10tトラック2台分の生活支援物資、タンクローリ2台分にガソリン満載し、ブルドーザー等の重機、医師に看護師とあらゆる物資や人材をを集めてチームを結成し、東京から一旦日本海側に出て山越え震災一週間後には現地にいた。かかった経費は全て自腹、ファミリーマンション軽く二つ分である。その他にも中国やアフリカ、南米での体験談には驚愕した。

彼は以前東京の有名企業で働き、今は世界中を飛び回り商談の仲介をしているのだがある海洋関係の契約を無償で手伝った時に「お礼にマグロくらい送ってよ」の一言で東京のマンションに送られてきたとか。「僕は刺身ように切り身を少しのつもりだったんだけど…」

お歳暮に送られて来たのは全長160センチ150㌔のマグロ1本。(刺身1000人分以上)もちろんマグロ解体職人つき。「クール宅急便のお兄ちゃん達がビックリしてたけど、僕はモット驚いたよ、ホントどうしようかと思ったわ」とあっさり。仕方ないのでマンションの住人を集めて、パーティールームで解体ショーをして振る舞ったらしい。スケールの大きさに驚く私に妻が「うちだって毎年大晦日に調剤の会長から、ブリが一本届くじゃない。しかも刺身、片身、あらの解体済みよ!」

150㌔のマグロとブリ。まるでH氏と私の人間の大きさを表わされているようだった。でも、我が家の車庫でのマグロ解体ショーを想像しながら、やっぱり身の丈でいいと納得した。

院長の独り言 その113    <ノーマジーン:2011年07月号>

「マカオ流行」

GWに、妻と娘と友人一家とマカオに行った。家好き白飯好きで観光嫌いの息子は、本人の希望でお留守番。長崎在住の友人一家は4人家族(仮にA家族としよう)。A妻は妻の友達で、A夫は大学の私の先輩。A長女も娘の大学の後輩である。

マカオはポルトガルに統治されていたためヨーロッパ風の古い町並みや中国の極彩色の寺があり撮影ポイントには事欠かなかった、またラスベガスの様に、カジノとイルミネーションのすごい街だった。小雨が降っていたが私は三脚を抱えて昼に夜にビデオや写真を撮りまくった、カジノでは軍資金が100万もあれば色々遊べただろうが嫁の目を盗んでスロットを少しだけするのが精一杯だった。当然負けた。国産ビールが安いのは嬉しい誤算だった。

旅行時は毎回トラブルが続く同行したA家。空港では金属探知器に引っかかり、レストランに行けばガイドブックを置き忘れ、タクシーに乗れば目的地と違う所に降ろされる。前回の大阪同様、今回も我が家と別行動時にトラブルが起こった。

原因ははっきりしている。旅行の予習をしないからだ。

我が家は、まず妻がガイドブックをチェックし、同行者も読まされる(2冊ぐらい)。出発前には旅行の予定やパスポートの管理、両替の金額など注意事項を話し合う家族会議が開かれる。旅行中もお茶をしながら、毎日予定確認の家族会議が開かれる。また薬箱からインスタント味噌汁、お箸やマグカップ、ヨーロッパに行く時には携帯型の電気ポットまで、色んなトラブルを想定して妻は荷物の準備をするが、決して大荷物になる訳ではない。一方A家でガイドブックを読んで来たのは中2の次女だけだった。しかも予定を立てるのがA夫は嫌いらしく、その時の流れで決める。さすらいの一人旅ならそれも良いだろうが期間が決まった家族旅行では困ったことになる。当然ストレスがたまり旅行後にはA夫婦の仲は険悪になると聞いた。ヤレヤレである。

私は帰宅後、いつも通り自室にこもって写真とビデオを整理し、BGMを付けてちょっとしたムービーを作る。その間妻と娘は荷物を片付けて洗濯する。全ての作業終了後、今回参加しなかった息子も一緒に編集した「旅行の思い出ムービー」を観た。ここまでで今回の旅行は終了である。後日更に調整した物をDVDに焼いてA家に差し上げる。

備えあれば憂い無し!これからも、我が家のリーダー(私ではない)の指示には従い楽しく旅行しようと家族専従カメラマンの私は誓った。

院長の独り言 その114    <ノーマジーン:2011年08月号>

「梅雨前」

6月に妻が友人と二人で、フランスの義姉の所へ10日間行った。フランスのベストシーズンは夏で、私の仕事は夏が忙しくて一緒には行けないので、妻の渡仏をずっと渋っていた。ところが昨年、酔っ払っていい気分お渡しに私に「フランスに来年行っていい?」と聞き「お~、行ってこい!」と太っ腹に許可してしまい、撤回出来ずに9年ぶりのフランス行きとなった。

フランスも5回目になると慣れたもので、飛行機は乗り継ぎが一番短い物を選び、「二人だからホテルより安いよー」とパリのキッチン付き高級アパートを予約したり、私も行きたかったモンサンミッシェルのホテルを予約したりと嬉々として準備をする妻を横目に、私はちょっぴり寂しかった。

出発2日前、我が家のリビングには「留守中の3人の行動予定表」という名の妻の手作りカレンダーと家事分担表が貼り出された。カレンダーには、家族みんなのスケジュールやゴミ出し日や注意事項が書き込まれていた。洗濯機と食洗機の横には、洗剤の量からボタン操作が書かれた紙が貼られ、家事分担表には子供と私の名前があった。そして、妻不在の10日間の仕事が書かれていた。一番家事分担の多かった娘は、仕事の準備や掃除等、息子は洗濯と食器片付けを担当した。「パパにも何か分担させないとね」と私にも役割を与えられていた。そして妻は旅立って行った。

10日後帰宅するとフランスから帰国した妻がいた。「楽しい旅行だったよー、そっちはどうだった?大丈夫だった?」と聞いて来た「こっちは元気だったヨー」と答えた。それからカメラやビデオを預かり旅行中の撮影分を整理するために自室にこもった。量は多いがピンボケや手ぶれも多く整理には深夜までまでかかった。翌朝妻に例のカレンダーを見せられた、そこには『窓閉め忘れ!虫がいっぱい入った!』と怒りに満ちた文字が娘によって殴り書きされていた。

割り当てられていたのは「お仏壇にお茶をあげる事とお風呂の窓締め」の二つ、所要時間立った数分のの仕事だった。しかしうっかり者の私はおつとめを果たせない事も多く何度か娘に指摘されても実行出来ない事が多かったのだ。

朝のコーヒーがやけに苦く感じた。

院長の独り言 その115    <ノーマジーン:2011年09月号>

「筑後川花火大会2011」

昨年の同様今年の場所取りは完璧だった。前日に娘を連れて下見をし、撮影場所を娘に教えてた。当日の朝、娘は折り畳み椅子をかついで自転車に乗り、筑後川の土手に場所を取ってくれた。私は仕事が終わるとすぐに帰宅し、撮影器材をかつぎ、自転車にまたがったところで雨が降り始めた。「始まってしまう、でも機材は濡らしたくない、車では行けない・・」待つ事20分小降りになったが西の空の雲は黒い、意を決して出発した、頭にはヘッドライト式懐中電灯をつけ、ダッシュで土手に向かった。

娘は友達と花火見物に出かけた。息子は数日前の三者面談で、成績と素行の悪さをしこたま怒られ、楽しみにしていた花火大会は禁止となった。落ち込む息子と虫嫌いの妻自宅警備員をしてもらった。

息を切らしつつ花火開始5分前に会場に到着。場所取りの椅子に座り三脚を組み立てて機材の雨対策をしたところで傘を忘れた事を思い出したがお尻はすでに濡れているので我慢。レンズの水滴を拭きながら撮影開始。600枚保撮影したが気に入ったのは4枚。でも大満足だった。

翌朝作品をほめてもらおうとリビングに向かうと、妻と娘の会話が聞こえてきた。娘「れみちゃんのお父さん自転車こいで花火大会に行きよったよ~って二人の友達から言われたとよ。お父さん目立つとやろうね~。恥ずかしか~。」妻「目立つと言うか、恥ずかしいと言うか、パパがママチャリに乗ったら、サーカスの熊の曲芸みたいでおかしいよね~」それって学生時代のネタだろ、原チャリがママチャリに変わっただけだ、今更子供の前で使うなよーと心の中で突っ込みつつ苦笑い。

コーヒー頼むまで私に気づかず夢中で喋っている二人だった。