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院長の独り言

院長の独り言vol.081-085

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院長の独り言その85    <ノーマジーン:2009年03月号>

「私も着たかった」
長崎在住の妻の友人とランタンフェスタを観るため長崎にドライブ。昼過ぎに到着し、まずはグラバー邸へ。曇天ながら眺めはサイコー、建物綺麗と順調に観光&撮影していた。三人のおばちゃん達が「風と共に去りぬ」(古いかな)の時代のコスプレしてるのを見たとたん妻の目が光った。「私も着てみたい」。こうなると仕方ありません「30分500円の貸衣装byレトロ写真館」でさっそく衣装選びです。10分ほどで衣装を選び着付け完了「とても似合うよ」(本心です)と妻を連れてウロウロと撮影しました。最初は恥じらいがちでしたがだんだんと慣れ、途中で「キャー、かわいい!一緒に写真撮って良いですか」娘と同年代の女子高生にお願いされて記念撮影する頃にはノリノリでした。ポーズを決めた写メを娘や友人に送り、衣装を返却するときはスタジオでもハイポーズ。様になってました。長崎の友人にその話をすると「グラバー邸はどうでも良いけど私も一緒に衣装を着たかったヮ、行けばよかった。」と言う始末。「俺も着てみたかったよでもサイズがなかったんだ」と私は心の中でつぶやいた。

院長の独り言その84    <ノーマジーン:2009年02月号>

「婦長」
もうすぐ開院9周年を迎える。当初からのスタッフは婦長を含め二人だけとなった。当時は丸々としていて、ダイエット中国茶に手を出した婦長も、その後病気にかかり、-10kgでガリガリなってしまった。もう一人は婦長の親戚でいわゆる縁故採用された娘である。当時10代の受付でニキビ顔だったもう一人は美肌になり、結婚して名前も変わり、受付から美容スタッフになった。そういう私も、ダイエットをしてはリバウンドし、頭は薄くなり、白髪が色んな所に見られるようになった。現在、当院の新規採用は婦長の担当で、一緒に仕事をしたい人を選んでもらっている。私の面談は婦長が良いと思った人に限られる。写真を貼ってない履歴書を持って来る人は採用しない主義らしく、私の元にはそんな人の履歴書廻って来ないのだ。この間何となく開業時の資料を見たところ数々の履歴書の中で婦長の分だけは写真がない。しかも子供の年齢まで詐称している。違うんじゃないと聞くとその頃はゆとりがなかったとの返事。ヤレヤレである。

院長の独り言その83    <ノーマジーン:2009年01月号>

「年賀状」
我が家の年賀状は、干支のコスプレをした家族写真である。丑年に息子が生まれ、家族4人で記念になるものをと考え、ハイハイ状態の顔にトラの模様を描き、妻が4人分耳を作り、アニマルプリントの服を着て、セルフタイマーで家族写真を撮った。デジカメのない時代、簡単に合成や修正もできないので、なかなか綺麗に撮れなかったので子供の写りがいい写真が優遇された。こんなアホな年賀状も珍しく、あまりのインパクトに、プリントを頼んだ写真屋さんからも絶賛され、翌年は喪中の友人からも年賀状を催促された。現在高二の娘が嫌がればやめるつもりが、これまたノリノリである。おかげで12回目となってしまった。一番大変なのは道具係の妻で、耳に特徴のあるウサギやネズミの時には簡単だと喜んでいたのが、来年の丑には頭を痛めている。「手抜きでいい?」と最初から投げやりムードである。さらに、来年の丑で干支を一回りしたからと打ち切りを宣言。やめるの?と聞くと「やめたくないならいい考えがあるよ。・・・」と究極の手抜きを考えている。なるほど、でも寅の事など考えないで、とりあえず丑の耳をどうにかして!角は考えるからと小声で催促した。

院長の独り言その82    <ノーマジーン:2008年12月号>

「GO! GO! KYO-TO」
ロンドンとパリへ修学旅行に出かけたので娘が一週間いない。そこで受験生の息子をおいて夫婦で2泊3日の京都旅行に行く事にした。去年観た「舞子Haaan」の影響だ。私は京都生まれだが、いたのは1歳まで、その後は高校卒業時に一回行っただけの「ほぼ初心者」だ。楽しみにしていると、いつの間にか嫁は弟嫁を誘い、三人?の旅行となっていた。観光地に行く→私は撮影に没頭(三脚禁止の名所が多いのが残念)→嫁は退屈→義妹を誘う→二人で遊ぶ→皆幸せ、と言う構図だ。嫁をこよなく愛する義妹は、エキストラベッドだろうが、荷物持ちだろうが、マッサージ係を任命されようが、喜んでついて来る。更に下調べを命令されれば、京都のガイドブックを買い、ネットで調べ、交通手段も頭に入れている、そのため今や頭は京都一色(紅葉色)となっている。下調べの内容は、観光客が必ず行く名所を押さえるべし! 目標は修学旅行! 誰もが知るベタなコースこそ理想というものである。観光客が一年で最も多いこの時期に、機材担いでウロウロと撮影する私と、土産屋に吸い寄せられる嫁と、どこにでも付いてくる義妹。はたしてこの珍道中はどうなる事でしょう。ベタな名所(清水寺、金閣寺、嵐山など)で我々を見かけても決して指ささないで下さい。

院長の独り言その81    <ノーマジーン:2008年11月号>

「運動会」
小6の息子が応援団長になった。自ら立候補し、ライバルの出現もなく、すんなりと決定したらしい。カメラオヤジの私は、がぜん張り切った。運動会当日は生憎の雨だったがコンビニの袋で機材に雨対策をし、ゴルフ用カッパに帽子、肩には脚立をかけ、思いっきり目立っていた。義兄がビデオ担当。妻はと言うと「肉眼で雄姿を見る!」の一言。男たちは逆らえません。
雨の中でも一生懸命応援をする息子の勇姿を撮影していたが、校庭に水たまりができるほど雨足が強くなった為に11時半には中断となりランチタイムとなった。私は息子を連れて校門の外へ・・。実はこの3年間お弁当は作らずに、こっそり自宅に帰宅して昼食をとっていた。「だってすぐ近くだし、家なら焼きたてに揚げたてだよ。アイスクリームだってあるよ。バレないってば」とニッコリ顔で言われたら「そうだよね〜」と優柔不断な私も子供も説得されていたのだ。
裸足の息子は足を洗い、ドロドロの体操服を脱ぎ、着替えてから昼食をとった。再び学校に戻る時に、又ドロドロの体操服を着せるのは忍びなかったが、「綺麗な体操服を来たらばれるでしょう。あ!家が汚れるから玄関で着替えてね!」の妻の言葉に、応援団長は素直に従った。
校庭に戻ると雨はほとんど止んでいたが校庭の状況は改善せず運動会はあえなく中止、残った競技は後日再開となった。小学校最後の運動会だったのに残念!帰宅後「やっぱり10月10日に休みを戻して、その日に運動会するべきだよ」と不満な私に「しょうがないわよ、父親が雨男だもの」と妻の声が聞こえた。私は「雨男ではないと」呟きながらこれからは運動会の日程に文句言うのは止そうと決めた。

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